しろいせいじんの日記

趣味や仕事について雑多に書いています

【ゴールデンカムイ】ケンカをするなら自分の名前でやったらどうだ ※ネタバレ注意

 

こんにちは、みやまです。

やっとゴールデンカムイを単行本にて最後まで読むことができました。

自分なりの解釈と感想を書いていこうと思います。

※ネタバレ注意!です

 

 

ゴールデンカムイは最初から最後まで、ずっとテンポよくストーリーが進むので、ずっと面白かったですね。

ゴールデンカムイ=金の神は良い神様なのか、悪い神様なのか、アイヌ民族たちにとって何をもたらしてくれるのか、ストーリーが進むにつれて紐解かれていく金塊にまつわる人々の思考や言動がとても面白かったです。

 

刺青人皮と金塊を巡る対立勢力

アイヌの隠された金塊を巡って、大きく3つの勢力がぶつかり合います。

私なりの解釈は次のとおり。1回通して読んだだけなので理解が甘い箇所が多いと思います。

 

1、鶴見中尉による軍事国家と満州・ロシアへの進出

日露戦争後の報われない兵士への報酬増。軍事国家を作ることにより、民間人にも仕事が行き渡り国も発展していく。戦争を続けることで更に収入の増加と継続が可能である。また、北海道の広大な土地を利用してアヘン等薬物の栽培を行うことで輸出収益の増加を図る。

蝦夷共和国のように北海道を独立させてしまうと、いずれは日本とも対立しうる可能性があるため、北海道は日本国として統治されるべきである。

アイヌ民族等の少数民族については日本国民と同等に扱われる。これまで日本国のために戦争へ出ていたアイヌ民族も、自然の中で暮らすアイヌ民族も同じ日本国民である。

 

2、土方歳三(とウイルク)による蝦夷共和国と北海道独立・ロシア牽制

最も懸念するべきはロシアの南下であり、少数民族は土地を奪われ、結果として語り継がれることなく滅んでしまう可能性がある。ロシアの侵略は大陸及び樺太から始まり、北海道までの侵略はあっという間と思われる。そのため、北海道を独立国家としてロシアを牽制できるようにする。

北海道を独立させることができれば、その地に住まうアイヌ民族の文化や生活を守ることにつながる。また、日本としてはロシアの南下に脅かされることなく本州の発展に注力することができるため、日本国の発展も進む。

北海道だけでは国力が不足するため、移民を受け入れて多文化国家としなければならない。

 

3、キロランケやソフィアによる大陸樺太北海道を含めた少数民族の独立

北海道独立だけでは、北海道に含まれていない樺太アイヌや大陸の少数民族は守られずに滅んでしまう。特にその地域に根差した文化や生活を守っている民族は、北海道で同じような生活をすることができない。大陸や樺太などの地域に根付いている文化を守るためには、大陸や樺太も一緒に国家として独立する必要がある。

 

前述したとおり、まだ1回しか読めていないので解釈が甘い箇所が多いかと思いますが、初回の印象はこのような感じでした。

それぞれの正義がそれぞれに強い思いを持ってぶつかる、まさに「戦争」ですよね。

日露戦争直後の日本にとってはロシアの牽制も引き続き必要であるし、はたまた少数民族の文化や生活を継いでいくためにはその土地を守ることができなければならないとも思います。

どの正義も理解できますし、いずれの勢力も日本国や少数民族のために強い思いを持っていることがよく分かりました。ゴールデンカムイはこのあたりのそれぞれの思想を丁寧に描いてくださったと思うので、いずれの勢力へも感情移入することが難しくなく、対立することも戦争になることも理解しやすかったと思います。

 

印象的なセリフ

思わずメモ帳に記録した台詞をいくつか引用したいと思います。

 

1、「許してやりなさい 頑張っているじゃないですか そんなにボロボロになるまで」

これは刺青を持つ囚人の岩息さんが主人公杉元と拳を交えているときに、杉元の怒りを感じて、杉元の思いを知って、伝えた言葉です。

今までのストーリーを追っていた私としては、「本当にそのとおり!!!杉元はよく頑張っている!!!」と泣きました。本当に、一生懸命アシリパさんのために幼馴染のために努力してきた杉元ですから、彼自身の優しさが自分を追い込んでいたのだと思います。

岩息さんは拳を交えながら杉元の本音といえる部分と対話してくれたなぁと、とても素敵なキャラクターと思いました。

結果が出ない苦しいときは誰にでもあると思います。先が見えない螺旋階段をひたすら駆け上がっているような苦しい時間。そういうときに、頑張っているぞと自分を認められたら、自分を少しでも客観的に見ることができたら、気持ちも違ってくると思います。

 

2、「ケンカをするなら 自分の名前でやったらどうだ」

これは鯉登少尉が初めて鶴見中尉と出会ったときに、鯉登少尉がお父さんの名前を使って相手を牽制したことから、鶴見中尉が伝えた言葉です。

当時の鯉登少尉はまさに虎の威を借る狐、ですよね。ケンカをするならお父さんの名前を出すのではなく、自分の名前を名乗ってケンカをしなさいと、自分自身のケンカをしなさいと、そういう解釈をしています。

私自身、役目や所属がないとかなり弱い人間なので、これは初見のときにかなり心に刺さったのです。ケンカをするわけではないですし、鶴見中尉が伝えたこととはまた少し違った解釈ではあるのですが…

仕事で言えば、所属先や雇われている会社、学生の頃なら通っている学校など、そういった社会的に証明された場所とのつながりがないと、自分を証明するものがなくなってしまうのではないかと、かなり不安になるのです。自分の名前でケンカする、ということは自分の肩書や役目のことはさておき、自分自身だけで自分を証明するような自信を持ちなさいと言っているように感じたのです。

 

3、「俺は欠けた人間なんかじゃなくて 欠けた人間にふさわしい道を選んできたのでは?」

これは尾形上等兵が最期に感じた尾形自身の人生の振り返りの言葉ですね。

ストーリーの中でも尾形はヤマネコに例えられ、ネコのような仕草が多く描写されていますが、金塊をめぐる戦いの中でもネコのように気まぐれな姿勢だったと思います。金塊よりも人間のつながりに左右されているような印象でした。

愛情をかけられず育ったから、愛情を向けられてもそれが本物なのか命をもって確かめずにはいられない。人を撃っても罪悪感を感じないし、綺麗事をいう人間がいることが信じられない。罪悪感なんて他人への愛情なんて、俺は感じていないんだと自己暗示をかけている。他人が愛情を込めたものは、大したものではなかったと確かめたかった。そんな印象の尾形でした。アシリパさんが地獄に堕ちる覚悟で放った矢でしたが、その毒ではなく、自ら人生に幕を下ろしたのは、とても尾形らしいなと思いました。最期の幕引きも、他人に左右されたくなかったのでしょうか。

杉元たちと旅をしている中で聞かれた「チタタプ」も、アシリパさんの家族と食事を囲んでいるときに「ヒンナ」を言ってくれたときも、尾形は、確かに愛情を感じていたのではないかと(個人的に)解釈しています。

 

自分という人間は、自分でどのようなものだと決めつけるものではなく、歩んでいく中で決まっていくものと思います。最期のそのときに、自分の人生はこういう人生だったなと答え合わせができたら楽しそうです。

作中、土方歳三の生き様は本当にかっこよかったです。武士道を重んじることはもちろんそうですが、意思を強く持ち続けるかっこよさと言いますか。漫画と現実は違うかもしれませんが、それでもやっぱり、かっこいい人間になりたいですね。

私は「人間は理由があって生まれた」のではなく、「生まれたから生きている」派の考えです。死に向かうことは全員の共有事項ですから、その過程を大切にしていきたいなと思います。人とのつながりを大切にして、後悔の少ない人生にしたいですね。

 

とても素敵な漫画を読むことができました。

みなさんも良い漫画ライフをお送りください。