こんにちは、みやまです。
今日は有名なナイチンゲールの看護理論についてメモしていきます。
そもそも看護って何?という部分を理論として書き起こした分野が「看護理論」というところです。
何をもって看護と言えるのか、どうしてその行動が看護に値するのか、それらを根拠立てて説明するための考え方のようなもの、と解釈しています。
ちなみに保健師助産師看護師法において、「療養上の世話または診療の補助」が看護師の業務とされています。
かみ砕いてみると、入院中の患者の身の回りのお世話や適切な治療を受けるための準備や管理などを示していると思います。
まずそもそも、なぜ「療養上の世話と診療の補助」が、看護と言えるのでしょうか。
ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが、 ナイチンゲールについてはクリミア戦争時に負傷した兵士の看護業務に就き、死亡率を大きく減少させた功績が広く伝わっています。当時としては初めて、死亡統計等のデータを用いて衛生環境の改善を訴えたといわれていますね。
そんなナイチンゲールが考える看護は「病気とは治療過程であり、患者の置かれている環境を整えることで、(生命力の消耗を最小限に抑え)自然治癒力を最大限に高めること、それこそが看護である」です。
私たち人間はさまざまな環境要因にさらされて生活しています。
様々な音、光、におい、気温、ベッドや自宅内、水、食料、周囲の人間などなど…
ナイチンゲールはこれらの環境を整えることで、患者の体力の消耗を最小限に抑え、自然に治ろうとする力(自然治癒力)を高めていこうとする営みが看護であると述べています。
人間には自然に治ろうとする機能が備わっています。ケガをすればかさぶたができて治ろうとするし、病気になれば熱を出して病原菌と戦います。
その治ろうとする力に焦点を当てて、「治すのではなく、治ることができるように環境を整える」ことが看護とするその視点は、現代でも看護職として大切な心構えと思います。
医療ではよく「治してください」などと患者さんから医師に言われることもあると思いますが、基本的に「身体を治せるのは自分自身の治癒力」であると思っています。
医療や看護はあくまで治癒力を高め「支援する」もの…これは患者側と医療者側で考え方が結構変わるポイントなのではないかと思いますが、医療を受けるか受けないかも本人の自由意思に基づくと思いますので、医療者はあくまで支援者であると解釈しています。
環境を整えることこそが看護であるので、「療養上の世話」をして適切な音、光、におい、気温、ベッドなどに患者の身を置くことは患者の消耗を最小限に抑えることにつながります。また、「診療の補助」により、医師の指示に基づく治療や検査を通して患者の自然治癒力が高まるよう支援することは看護であるといえます。
環境整備は看護の基本にして根本的な考え方と思いますね。
ナイチンゲールについては、看護学生時に「看護覚え書」を愛読書にしていたくらい読みました。特に好きな考え方は「ナイチンゲールの小管理」といわれる部分です。
責任を持つということは、自分がいないときにも、自分がいるときと同じように業務が行われるようにしておくこと…というような文章です。
看護職をはじめ、世の中の支援者はチームとして動いていると思います。自分がいないときにも、自分の担当者のケアを継続できるようにシステムを作っておくこと、これがどの業界でも大切になると思います。
ただ特に医療業界、介護業界は年中人手不足、責任を持てるような働き方って難しいとも思います。患者や相談者は増える一方、支援者は確実に減少していきます。医療保険や介護保険制度が限界を迎えている現在の少子高齢化社会に応じたシステムを考えていかなければならないのかもしれません。